この曼荼羅、「心」の字から放射状に線が伸びている。この線の先が「十界」。つまりここは心に映る世界。「ある」か「ない」かの世俗の次元を超えて、「心」のありよう一つで決まるという世界である。出所を尋ねれば難しくなるが、594年隋の智顗(ちぎ)の説いた天台止観、「観心」(かんじん)の修法の根拠となるものである。そこをやさしくさりげなく説くのが「絵解き」の世界である。
生前によく念仏してそれが身についていたならば、五色の雲に乗った阿弥陀如来に迎えられて極楽往生、つまり「如来」「菩薩」「声聞」「縁覚」の悟りの世界へと道が開けてくる。これに乗りはぐれて、閻魔様の前に引き出されたらもう観念するしかない。「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」と、ぐるぐる巡って終るところがない六道輪廻の迷いの世界へと投げ出される。閻魔さんの裁きを待つまでもなく、我が身を省みておおよその見当はつく。死出の旅路には後戻りが許されない。 ところが、そこは仏道のおおらかなところで、生前に積み残した「善」を後に残された者が、ねんごろに供養して「善」を積み足す追善供養を怠らなければ、敗者復活、極楽往生も叶えられると説く。ここからが熊野比丘尼の勧進説法が始まる。 昔、といってもそんなに遠い昔ではない。熊野比丘尼の出を待つまでもなく、お寺参りに孫たちを閻魔さんの前に座らせて、爺さん婆さんのお説教がはじまった。「嘘をつくと閻魔さんに舌を抜かれるぞ」と。これが怖かった。ところがこのごろの子どもは怖がらない。はかにもっと怖い話があるからか。 この曼荼羅、なぜか国内でも三重県に集中して見つかっている。11月21日から5日間、津の三重県立美術館で展示される。
by renzouji
| 2007-10-18 21:24
| 一口説法
|
カテゴリ
以前の記事
2017年 01月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2015年 12月 2015年 09月 2015年 07月 2015年 05月 2014年 12月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 03月 2013年 02月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 04月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 フォロー中のブログ
メモ帳
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||